通訳

通訳って、身振りまで真似してしまうものなのだろうか?
この写真は面白い。

いくらプロといっても、
各チームのスター選手がサブ組にいて、
しかも、出られる見込みがかなり少ないというと、
モチベーションを維持するのは難しいだろう。
ジーコジャパンでは
「サブの選手がよくやってくれている」
という言葉がよく聞かれる。
それは、おそらくその部分が気になっているから、
つい言葉にでてしまうのだろう。
いいか悪いかではなく、
それが話題になる状況であるということに
注目すべきなのかもしれない。

「オランダサッカー、5つのエッセンス」という
オランダのサッカー教育の話が面白い。
「考えること」を教えるための方法論。

プライベート

図書館に行く途中、
駐車場の奥に猫が歩いていた。
デジカメでムービーを撮っていたら、
土をシャコシャコっと掻いて座った。
何気ない顔をして、
空なんか見ている・・・
また、シャコシャコっと土を掻いて
塀の上に去っていった。
プライベートなところを覗いてしまって
失礼しました。

Suica?

地下鉄や私鉄の自動改札に
Suica用のような、
斜めの読み取り機が付けられている。
Suicaが使えるようになるのだろうか?

少し夏

原稿用の作例を作りながらも
仕事場を少し夏向きにしたり、
締め切りが迫ると、
なぜ、まわりのことが気になるのだろう。

日本らしい終わり方

サッカー日本代表対ドイツ。
久しぶりに面白い試合。
そして、なんとも日本らしい終わり方。

3-5-2でいくと、
FWしか選手交代はなさそう。
小野はほとんど見れないかも。

しかし、守りはどうするのだろう?
これ以上守備の選手を増やせないし、
ディフェンスの中心である宮本が
一番の弱点でもあるというのが
とても難しい。
巻を入れて、セットプレーでは
ディフェンスに入れるというくらいか。

mixiのサッカークイズ、
30問中26問正解だった。

すべての著作権は○○に帰属します

日刊スポーツのサイトに、
記者が書いているというブログがあり、
すべてのページの最後には、
「 すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。」
と書かれている。
ブログのフォーマットデザインのなかには
どう見ても素材集の写真を使ったようなものがあるし、
エントリーのなかには、
出典を明示しない画像も張り込まれている。
というか、なんとディズニーの画像まである。
エントリーの内容に、それほど必要とも思えないのに、
少し画面をにぎやかにするために
という感じで、イラスト的に貼ってある。
素人ならともかく、記者といえば、一応はプロだろう。
自分の著作権を主張するまえに、
まず、他人の権利を守るべき。

素材集の画像は、
一定の条件のもとでの使用権を買っているわけだが、
それを使った人に「著作権が帰属する」わけではない。
「著作の使用権を確保してあります」とは言えても、
「自分のもの」といっていいものではない。

エントリーのなかで、
どこかから持ってきた画像を貼ることもあるだろう。
本来はリンクを貼ればよいことなので、
それ自体よいことではないのだけど。
少なくとも、出典は明示するべきで、
出版等に関わる人間にとっては基本だ。

ぼくは、著作権に関しては、
「より豊かな文化が育まれるように」
という点を重視して運用するべきと思っている。
そのためには、
そこから利益を生み出しているプロはともかく、
個人のブログを書いている人などには
「ちょっとユルメ」くらいの許容範囲は
あってもよいと思っている。
でも、これはちょっとひどい。

デザインすること、しないこと

Windows Media Photoという画像形式が
発表された。
圧縮効率がよく、
8ビット以上の情報を記録でき、
デジカメのRAWデータの情報を
記録することもできるらしいが、
はたして普及するのだろうか。

ナップスタージャパンが
秋に定額制の音楽配信を開始するらしい。
ネット接続からはじまって、
音楽やビデオなど、
時間的なものは、
24時間、365日以上あっても
意味がない。
きちんと配分する仕組みができれば、
時間的なコンテンツは、
最終的には定額になっていくだろう。
そういう仕組みができて
気軽に視聴できるようになれば、
正しい仕組みであれば、
質の高い作り手にとっては
メリットになるはずだ。

問題は、
「サービス開始時には洋楽/邦楽をあわせ150万曲」
の内容。
聞き逃していた古いジャズなんかを
気がねなく、まとめ聴きできたり
聴き比べられたりするとうれしい。
定額になることで、
1回しか聴かないかもしれないものを
手軽に聴けるのがいいと思う。
そこから好みが広がる可能性もある。
そういう意味ではストリーミングでもいい。

「美しい景観を創る会」などというところが、
「悪い景観100景」というのを選んでいるらしい。
香港にあった九龍城のようなのがあったら、
それは悪い景観なのだろうか?
六本木ヒルズのようなところと、
ゴールデン街のようなところと、
街としてどちらが価値があるのか。

デザインをする立場からすると、
整然と計画されたものを美しいといってしまう
その気持ちはわからないこともない。
しかし、街というのは、それだけでは不十分であり、
むしろ、一人の人間の頭脳から出てきたものではない
というところにこそ
街の価値があるように思うのだ。
新宿のネオンだって、
誰か一人の意図で作られたのではなく、
無数の様々な欲望などが集積して
結果的にああなってしまったところが、
他の文化の人や、他の時代の人からみたら
とても貴重なのではないか。

街には、そこに住む人の生活があるのだし、
それを学者がチラッとみて、
景観が悪いなどと文句をつける必要はない。
もし、文句をつけるのなら、
景観が悪くなった原因そのものに
目を向けるべきだろう。

フェアプレー

WebCreatorsの見本誌が届く。
連載と特集で2ページ書いています。
連載
上から出てくる
横にスクロール
特集は、動きのあるパーツというような内容で
サンプルデータがないとわからないのではないかと思う。
実は2つとも同じロジックで、
Flashで作るのと同じロジックを
JavaScriptでやってみようと思って、
ずいぶん前に作ったものがあったので、
それをちょっとデザインして、出してみた。

ワールドカップに備えて、
FIFAの関連会社が
ドイツのホテルを200万泊以上も予約し、
直前になって、半分以上の100万泊以上を
キャンセルしたのだという。

ワールドカップでは今回も、
「フェアプレー」というフラッグから
入場するのかもしれないが、
FIFAに「フェアプレー」という言葉を
口にする資格はない。

集中力の固まりのような絵

皇居の緑

三の丸尚蔵館の若冲の2回目を見に行く。
いつ見ても、圧倒的な存在感がある。
木の枝が悪夢のよう。

同時に、狩野探幽と円山応挙の絵があり、
どちらも力を抜いた、サラッとした絵だった。
画壇の中枢にいて、おそらくきれいごとだけでは
すまない世界に身をおいていたであろう絵師たちの
力の抜けた絵と、
家業から隠居して、当時の絵画の世界とは
あまり関わりがなかったと言われる若冲の
ギラギラとした、集中力の固まりのような絵。
実に対照的で面白い。

新宿の東急ハンズに寄り、
ねぎしで牛タン。ひさしぶり。
25周年ということで、少し安くなっていた。
しかし、禁煙席がなくなっていたのは不満。

タモリ倶楽部で、
人が一人も写っていない写真
というのを取り上げていた。
なかなか面白い。

ビル・エバンス

楽器店のエレピで、
ビル・エバンスのISRAELを弾いているオヤジがいた。
かなりうまい。

金曜の夜は、ゲーム売り場のレジに
長蛇の列。
市場が成熟するっていうのは
こういうことなのだろうか。

大学への行き帰り、
KT Tunsallの「Suddenly I See」を
1曲リピートで聞き続けていた。
見た目のイメージと違って、
魅力的な女の子に憧れるという
ちょっと甘めな歌詞なのだが、
このモデルが、メイプルソープの撮った
パティ・スミスのジャケット写真だと聞くと
印象がちょっと変わってくる。

1枚の写真が心に沁みることって
あるものだ。
昔、本の表紙になっていた
寺山修司の写真を見て、
何故だか、目頭が熱くなるような
感覚を覚えたことがある。
寺山修司にそれほど思い入れがあったわけでは
ないのだけど。

Dreamweaver8.02

Dreamweaver8のアップデータが
リリースされている。
ActiveXの問題に対応したようだ。
これって、もっと大々的に広報すべき
問題だと思うのだが、
ニュースリリースを受け取った記憶がない。

Amazonで注文した CDが届く。
KT Tunsall 「Eye to the Telescope」
Tristan Prettyman 「twentythree」

最近、アコースティックギターの音が心地よく感じる。

44枚組

レッド・ツェッペリンの44枚組
12インチ・ボックスが発売とのこと。
オヤジ買いの世界は強い。

夕方、豪雨で、
家までダッシュ。

昼ドラ

クドカンの昼ドラマが始まっているはずなのだが、
さすがに昼は見ていられない。
録画しているが、いつ見られるか。

いなか探知機

ある程度以上の田舎にいくと
右手の甲に発疹がでる。
いなかに特有の何かに対する
アレルギーのようだ。
時々、大学にいっても
でることがある。

銀河鉄道の夜

西武線で飯能にいって、
帰りの電車が、事故のため東久留米で止まる。
日曜の夜の上り電車で、人影もすくない。
普通ならぜったいに降りないような駅だが、
駅のホームには、なぜか古本屋がある。
自分がどこにいるのか
わからなくなるような感覚。

gmailのロジック

電線 その3

電線 その2

電線 その1

青空がまぶしいほどで、
空を見上げて歩くと、
電線の形に見入ってしまう。
鳥もとまらぬほど暑い。
図書館から帰ってくると、
15分くらいで豪雨。
ギリギリで助かる。

ここ数日、gmailのレスポンスがとても悪かった。
受信箱を開くだけで5分くらいかかったり、
エラーがでて開けないこともあった。
使える状態ではない。
おそらく、チャット機能を追加した影響だろう。
それが、急に直った。
裏では大変だったことだろう。
gmailをメインにしてもいいかも
と思い始めていたが、
やはり、まだまだ無理のようだ。

gmailの迷惑メールフィルタは優秀だが、
sakuraのフィルタも悪くはない。
最近のgmailは、
スパムメールを受信箱に入れることはとても少ないが
必要なメールをスパム扱いすることは
かなり増えてしまった。
sakuraは、
スパムメールを必要なメールと判断してしまうことは
gmailに比べてかなり多いのだが、
必要なメールをスパムと判断することはまずない。
精度はgmailのほうが高いが、
必要なメールを捨ててしまうことは、
仕事上とてもまずいので、
どちらが実用的かというと、
sakuraということになる。
煩雑ではあるが、両方で処理していることで、
安全性を高めていることにはなっている。

gmaiのスパムフィルタの精度は
膨大な量のメールを処理し続けていることによる
情報の蓄積が影響していることは明らかだ。
このとき、受信トレイにある「迷惑メールを報告」というボタンは
その名の通り、そのメールを迷惑メールとして
gmailに情報を送っているのだろう。
しかし、ユーザーはどこまで正しい操作をしているのだろうか。
登録しているけど、もうあまり必要ではないメーリングリストは
「迷惑メールを報告」ボタンを押してしまっていないか。
もし、そうすると、他のユーザーがこのメールを必要だと思っていても、
迷惑メールとして判定される可能性が高まることになるのでは?
この場合の、ユーザーの行動の妥当性というのを
どのように判断しているのかというのが、
よくわからない。

必要/不要の2分類しかない
フォークソノミーともいえると思うのだが、
ユーザーが常に正しい行動をするとは限らない。
正しくないことをする人は、割合としては少ないと想定しても
どこのレベルを閾値として消し込めばいいのか?

ブルース・スプリングスティーンのニューアルバム

授業が終わっても、
まだ外が明るい季節になった。
久しぶりに天気がよかったので、
駅まで歩く。

帰りに、TowerRecordによると、
ブルース・スプリングスティーンが
カントリーのカバーアルバムを出していた。
ボーカル力は相変わらずだ。
その後、石橋楽器に寄ってみたり。

著作権保護期間

ナナオがカラーキャリブレーション対応液晶ディスプレイを
新しく発売するようだ。
あまり話題にはならないが、
10万円台というと
安くなったものだなあと思う。

新宿にいったついでに、
ヨドバシによると、
すでにMacBookが置いてある。
キーボードはPowerBookよりいいと思う。
しかし、テカテカ液晶はやはり映り込みがあって
見にくい。

JASRACが、
「著作権保護期間を現在の「作者の死後50年」から、
 70年に延長するよう強く求めていく」
という。
「我々作家は一曲一曲魂を込めて、
 一生懸命作っている。これが命の綱。
 それをどんどん短くしろと言う。
 そんなバカな話はあるか?」
という主張だそうだ。
確かにそうだ。生きているうちなら。
でも、ここで問題にしているのは、
死後の話なのだ。

著作権を尊重するということには異論はないが、
死後50年だと、子供は生涯、著作権使用料を受け取れる。
もちろん、使用されるような作品ならということだが。
死後70年というと孫の一生というに近くなる。
創作というのは、きわめて個人的なものだ。
子供というのは、創作のインスピレーションになることもあるから、
まだ、子供が恩恵をうるのは多少は理解できる。
しかし、孫までとなると、それは違うだろう。
むしろ、死後70年も生き残るような作品を作った人の子孫を
駄目にしてしまうことにしかならないのではないか。
また、著作権保護期間が長くなることによって、
再評価される可能性が狭まることにもなり、
作者本人も望まないことのように思う。

メイリオ、日本語のフォント環境

次期WIndows、Windows Vistaに
新フォント「メイリオ」が搭載される。
文字を見ると、若干丸ゴシック的。
ウェイトは、本文用と見出し用の2種類。
明朝フォントは今後開発予定だという。

デザインする側からすれば、
複数の見出し書体と、
明朝体は必須だ。
文章の内容にあわせるなら、
基本的なゴシック体は
もう少しシャープであってほしいし、
一方で、丸ゴシック、ゴナ系のフォントが
ひとつくらいはほしい。

現状のメイリオ程度に中途半端なのなら、
ヒラギノでいいじゃないかと思う。
ヒラギノなら、印刷も含めて、
日本語のフォント環境が統一できる。
これは重要なことだ。
ウェイトも多いし、明朝もある。

どうしても普及させたいのなら、
IEにバンドルして、
フリーウエアとして提供すべき。
しかし、Vistaでないと
CrearTypeが使えないのだろう。

コンピュータは今や、
文化的、社会的なインフラなのだから、
OSの開発は、より公共性が求められる。
文字は表示できればよいわけではない。

キーワードの時代

卒業した(元)学生から、
卒業制作向けに作ったというFlashの作品が届く。
素晴らしい出来。
そのまま仕事で使えるレベル。
授業の内容を理解し、応用し、
自分なりに使いこなしている。
内容的にも、送ってくれたこと自体も
とてもうれしい。

久しぶりに山嘉で昼寿司。
寿司はやっぱりいいなあ。
宮川さんの陶芸作品がまとめて展示されている。
あらためて見ると、やはり素晴らしい。

MacBookが発売。
外部モニタで高解像度が使えるというのは
とてもいい進歩。
現状より幅が5cm大きく、ワイドディスプレイ。
もう一回り小さくて軽ければいいのに。
Windowsの動くCoreDuoノートとしては
結構いい感じではある。


ネットではGoogleをはじめとして、
キーワード検索が重視されている。
検索にかかりやすくするために
SEO(検索エンジン最適化)がサイト制作のなかで
重要な位置を占めるようになり、
アドワーズ広告のように、
売買の対象にもなっている。

テレビでは、コメントを求められても
話しているうちの数秒〜数十秒しか
使われないのがわかっているので、
話す側も、「ここを使ってくれ」というように、
キーワードを織り込んで話す。
新庄やホリエモン、小泉首相などはこれがうまく、
新聞の見出しやテレビのテロップを想定して
話しているという感じだ。

言葉というのは、常に文脈のなかで生きている。
辞書があって、言葉が生まれたのではなく、
言葉が語られるなかから、
意味が浮かび上がってくるのだ。
文脈を感じることができてはじめて、
その物事が理解できるのであって、
言葉の意味を知ったからといって、
物事を理解したことにはならない。

キーワードがひとり歩きしてしまい、
言葉の背景を理解しようとしない
という傾向に拍車がかかっているように
最近感じてしまう。
もっと、言葉を大切にしたい。

その背景として、
色々な分野で、「編集力」が
落ちてきているのではないか。
「編集」だけは、どんなにメディアが変化しても
絶対に必要なことだ。
ところが、編集は素人でもできると
誤解されていることが多い。
本当は、一番大切なことなのに。

ネットに関していうなら、
ハイパーテクストで結びつけるべきは
単体のテキスト、キーワードではなく、
コンテキストなのだと思う。
システムとしての編集というものが、
仮にあるとすれば、
キーワード検索のレベルではなく、
文脈のレベルで、
情報を結びつける技術が
必要になるのかもしれない。