キーワードの時代

卒業した(元)学生から、
卒業制作向けに作ったというFlashの作品が届く。
素晴らしい出来。
そのまま仕事で使えるレベル。
授業の内容を理解し、応用し、
自分なりに使いこなしている。
内容的にも、送ってくれたこと自体も
とてもうれしい。

久しぶりに山嘉で昼寿司。
寿司はやっぱりいいなあ。
宮川さんの陶芸作品がまとめて展示されている。
あらためて見ると、やはり素晴らしい。

MacBookが発売。
外部モニタで高解像度が使えるというのは
とてもいい進歩。
現状より幅が5cm大きく、ワイドディスプレイ。
もう一回り小さくて軽ければいいのに。
Windowsの動くCoreDuoノートとしては
結構いい感じではある。


ネットではGoogleをはじめとして、
キーワード検索が重視されている。
検索にかかりやすくするために
SEO(検索エンジン最適化)がサイト制作のなかで
重要な位置を占めるようになり、
アドワーズ広告のように、
売買の対象にもなっている。

テレビでは、コメントを求められても
話しているうちの数秒〜数十秒しか
使われないのがわかっているので、
話す側も、「ここを使ってくれ」というように、
キーワードを織り込んで話す。
新庄やホリエモン、小泉首相などはこれがうまく、
新聞の見出しやテレビのテロップを想定して
話しているという感じだ。

言葉というのは、常に文脈のなかで生きている。
辞書があって、言葉が生まれたのではなく、
言葉が語られるなかから、
意味が浮かび上がってくるのだ。
文脈を感じることができてはじめて、
その物事が理解できるのであって、
言葉の意味を知ったからといって、
物事を理解したことにはならない。

キーワードがひとり歩きしてしまい、
言葉の背景を理解しようとしない
という傾向に拍車がかかっているように
最近感じてしまう。
もっと、言葉を大切にしたい。

その背景として、
色々な分野で、「編集力」が
落ちてきているのではないか。
「編集」だけは、どんなにメディアが変化しても
絶対に必要なことだ。
ところが、編集は素人でもできると
誤解されていることが多い。
本当は、一番大切なことなのに。

ネットに関していうなら、
ハイパーテクストで結びつけるべきは
単体のテキスト、キーワードではなく、
コンテキストなのだと思う。
システムとしての編集というものが、
仮にあるとすれば、
キーワード検索のレベルではなく、
文脈のレベルで、
情報を結びつける技術が
必要になるのかもしれない。