シナリオ

暑いなあ。
脳が溶けるくらい暑い。
外に出たとたんに、
顔がゆるんで、
にたーーとしてしまう。
思考力がなくなる。
あぶない。

エコ派の方々、
まさか冷房なんてつけてないですよね。
と、いってみたくなる。

オリンピックのサッカー、日本対アメリカ、
日本はグループ最弱であることは間違いないので、
予想通りではあるけれど、
普通に負けてしまった。
それよりも、ビジョンがないのが悲しい。
例えばトルシエの時は、
相手が疲れてきて、リズムを替えるときは森島、
守りに入るときは明神
ベンチを盛り上げるのは秋田とゴン
というように、試合の流れのシナリオを作って、
それぞれの選手に役割を与えていた。
今回のチームには、そういうシナリオが
まったく感じられない。
だから、リズムも変わらない。
今思うと、ユーロのスペインは、
きれいなシナリオができていたなあ。

気になったのは、李を入れる時、
相手のフリーキックになったので、
入れるのをやめてしまった。
確かに、ピンチの時は
メンバーが変わらないほうが安全で、定石ではあるけど
負けている状況なのだし、
相手のチャンスで、相手が上がってくるから
その裏にスペースができて、ボールをとれば
裏に抜けるタイプのFWにとって大きなチャンスになる。
監督の見えている範囲が狭いなあと思った。

攻撃力があるからといって、
ギリギリになって、谷口をトップ下にしたのは
間違いなんじゃないだろうか。
チャンスには上がってくる感覚のある選手なのだし、
それがはじめから高い位置にいることで、
スペースを消してしまっている。

前半20分のシュートが入っていれば
結果は変わっていたとは思うけれど、
問題点は、決定力不足ではないだろう。
オシムに影響を受けたのなら、
もっと論理的な積み上げを大切にしなくちゃ。
せめて勝ち点1くらい、とれないかな。

これ、絵もかわいいけど、
音楽がいいなあ。

夜、神宮の花火の音が聞こえた。

ピックアップ

青空に入道雲がかっこいい。

パンデイロ用に買ってあったピエゾピックアップを
V-Drumsにつけてみると、普通に音がでる。
専用のピックアップじゃなくても問題ない。
少し感度が弱いが、調整でなんとかなりそう。
しかも小さくで邪魔にならない。
ということは、V-Drumsのコントロールは
単なる音声信号なんじゃないか。
これは工夫次第で、色々面白いことができそう。
MIDIにも変換できるし。

Jembe

検診で、血をとられる。

夕方、雷が鳴っていたので、
ジャンベを叩いて、競演してみるが、
雷の音はあまり入らず。
(左のサウンドより)

アンプラグド

久しぶりにアコースティック・ギターの弦を替える。
倍音の豊富な元気な音になる。
やっぱり、たまには変えてあげなくちゃと思う。

気持よくなって、少し録音してみる。
スライドギターに、カホンとブルースハープ。
スライドギターの音は、
録音してみると、結構難しい。
弦とスライドバーの当たる金属的な高音が、
録音すると耳障りに感じてしまう。
すこしEQで調整したりする。
カホンはわりといい音でとれたのだが、
フリーで弾いたギターの上に載せていったので、
リズムがよれる。大幅にカット。
スライドのアタックのない音が
遅れ気味に感じてしまうようだ。
V-Drumsも面白いけど、
シンプルでアコースティックなカホンも悪くない。
ブルースハープを適当に載せてみる。
一応、アンプラグド。
(左のサウンドより)

光TVでナショナルトレジャーを見る。
先住民族の木版を記録しようとしたのに、
カメラがなかったか、壊れていたかで、
警察の監視カメラに写して、
それをあとでネットワークに侵入して取り出す
というトリックをしていたけど、
MacBook持ってたじゃない。
カメラ着いてるのに。
警察のネットワークに侵入できるハッカーが
辞書から5文字の単語を総当たりで手入力しているし。
プログラム書けばあっという間だと思うけど。
でも、インディージョーンズほどじゃないところが
娯楽としてはかえって気楽に見れて楽しい。

4th Mediaが光TVになって、
映画の見放題などもあり、
音楽系も結構ある。
Joe Jacksonの最近のライブがあり、
かっこいい。
昔ほど、機嫌悪そうではなく、
楽しんでいながらも、
相変わらず、アイディアは豊富でシャープ。
何度も見てしまうだろう。

既存のライブラリが削除されることなく、
より増えていってくれるといいのだけど。
固定料金を払うことで、
DVDやCDなどを個人で所有する必要がなくなれば
いいのにと思う。
それで、見る側も作る側も
お互いが得するシステムというのは
作れるはずだ。
地価の高い東京では、特に有効だろう。

音楽にとっての鍵盤

大人の科学「シンセサイザークロニクル」
アマゾンにはまだあるようだが、
サイトでは、すでに重版予約になっている。
付録だけでなく、雑誌の記事も力が入っていて
とても面白い。

アマゾンの書評を見ていると、
これでは音階を弾くのは無理
というような意見が結構ある。
それは、「鍵盤」というものに
毒されすぎなんじゃないかと思う。

無段階の音程というのは、
バイオリンもトロンボーンも同じだし、
そのほうが表現力の幅は、本来広い。
トランペットには3つしかキーがなく、
組み合わせたとしても
それほどの音が出せない。
口で倍音をコントロールすることで、
幅広い音程を出している。
サックスでも、同様な音の出し方をする。
どちらも細かい音程は、唇で調整する必要がある。
楽器というものを俯瞰してみれば、
鍵盤楽器というのがむしろ特殊ともいえるわけで、
鍵盤がないから楽器として使えないというのは、
まったく、当てはまらない。
そもそも、楽器というのは、
それくらいの熟練性を必要としているものなのだ。
そういう意味では、今回のアナログシンセを
TENORIONのような
簡単に演奏できる路線ではない方向にしたのは評価できる。
それこそが、「大人」の科学(音楽)なんじゃないか。
もちろん、価格の問題が大きかったのだろうけど。

鍵盤が五線紙に書かれた音楽を理解する上で、
最も適しているのは確かだろう。
しかし、トランペットやトロンボーンの
倍音による構造は、
それとは別の意味で、
物理法則がそのまま見えてきて、
とても論理的に見える。
もちろん、弦楽器も同様だ。
鍵盤から離れて音楽を見るということも
必要だと思う。

東久留米

久しぶりに幸まるで寿司。
さんまや、つぶ貝がおいしく、新子もある。
東久留米に40年住むというお客さんが、
東久留米の昔の話をしてくれる。

Mac OS XからNTFSへアクセスできる
ファイルシステムドライバ「Paragon NTFS for Mac OS X 6」
が発売になるようだ。
BootCampを使っている人には
うれしいかもしれない。

「シンセサイザー・クロニクル」

大人の科学 シンセサイザー・クロニクル
大人の科学マガジン別冊「シンセサイザー・クロニクル」が到着。
さっそく作ってみる。
基盤はできているので、結構、簡単。

おお、アナログだなあと感心したのは、
家にあった新品の乾電池が3つしかなくて、
最後の一つを探して、色々変えて試してみると、
電池によって、音がかなり変わる。
時計も動かないくらいに弱ってる電池を使うと、
音程が極端に下がる。

外部出力端子もあるので、
ギター用のエフェクターをかけて、
アンプにつなぐ。
演奏しながら、LFO RATEつまみを調整するといい感じ。
音階のバーの上下に抜けるように波を描くと、
抜けた時には音がでないので、
リズムもつかみやすく、演奏しやすい。
ウニウニしてると、かなりのトリップ感。
これは、楽しめそう。

とりあえず、少し録音して切り貼りしてみた。
付録アナログシンセの音のみ使用。
ただし、かなりエフェクトをかけている。
(左の「サウンド」のプレイボタンをクリック)

電子ブロックと組み合わせられないかな。
電子ブロックタイプのモジュラーシンセを出してほしい。

大人の科学って、真空管アンプも出していた。
30年以上前に製造された中国製の真空管を
探してきたのだそうだ。

秋葉原の真空管マップ
秋葉原には、まだこんなに真空管を扱っている店があるらしい。
日本ってすごい。
秋葉原のディープなところにいくと、
日本の技術の「厚み」に感動する。
ハンダの質とかにこだわって商売していたり、
それを理解して、買いにくる人が少なくなかったり。
トップを見るのも必要かもしれないけど、
厚みの部分は、一人では作り上げられないので、
もっと評価してもいいと思う。

洗濯機を走らせる

怒ったり、もろもろ消耗してる。
怒っても、何の得にもならん、
怒ってはいかん、と思うのだが、
そうもいかないのが、未熟なところか。

デイリーポータルの林さんの記事が
罰当たりな感じでいい。
お盆のナスの馬を電動で動かしている
これ、USBでコントロールしたい。

そこでリンクされていたので、
久しぶりに林さんのお父さんの記事を読み直すと、
元気がでる。
これ読むと、生きるって素晴らしい、
ものづくりって素晴らしいと思える。
それって、変かな。
だって、洗濯機にキャスターをつけて家の中を走らせるんだよ。
そんなことをしてしまう生き方って、
笑っちゃうけど、素敵だと思う。

爆音

仕事が進まないので少し寝ようと思ったが、
すぐに起きてしまう。
すると、近所で道路工事の爆音。
朦朧としていると、ラジオから
Fairground Attractionの“Find My Love”が流れてくる。
朝、好きな曲を聞くと少し気分が晴れる。

WebCreatorsの見本誌が来ていたが、
見ると、校正で指摘した修正が直っていない。
かっこ悪い。少し凹む。

夕方から夜にかけて、激しい雷雨。
光と爆音が同時にやってくる。
大迫力。近くに落ちた感じ。
今日は朝も夜も爆音だ。

テレビではサッカー五輪代表の日本対アルゼンチン。
うちから少し遅れて、雨が強くなっている。
後半38分くらいで中断、そのまま終了。
主審が決めたというが、本当だろうか。
放送時間ギリギリだし。

セルジオ氏が、選手は避難できるけど、
お客さんは避難できない。
雷で傘は危ないから、
注意するアナウンスが必要だといっていた。
うちのあたりの雷雲が移動したのなら、
本当に危ないだろう。
テレビでだけじゃなく、
サッカー協会にも厳重に言うべき。
そういう視点は偉いと思う。
観客はびしょぬれで、
ハイになって大騒ぎだった。

ほとんど後半しか見れなかったが、
日本はプレー的にはとてもよくやっていた。
しかし、明らかにスペースがあいてきて、
そろそろ点がはいるだろうというところで失点。
やはり、試合展開の読める人が、
各ラインに欲しかった気はする。
選手はみんなバランスのとれた人という感じ。
ジーコジャパンぽい。
速い、高い、ドリブルうまいというような
特徴のある選手が見当たらない。
勝っている時はいいが、
追いかける展開になるときつそう。

The SAX

書店で、
「“サックス大好き人”に贈る唯一の専門誌
 The Sax」
という雑誌を見つける。
CDが着いているようだったのに、
見当たらないので、よく見ると、
ハガキを送ると郵送してくれるらしい。
珍しいシステム。
Jazz理論の記事が面白いが、表紙は微妙。

雨は降らないが、午後ずっと雷がなっている。
Jリーグの大宮ー清水の試合は
雷雨のため、開始時間が1時間半も遅れたらしい。
実家が近いのだが、すごい雨だったのだろう。

Scratchでプログラムを学ぶ

Scratchに関する記事をたまたま見つける。
Squeakは試してみたことがあるが、
今ひとつ直感的でなく、画面も美しくなかった。
しかし、Squeakの発展形というScratch
とてもわかりやすい。
これなら、中学生でも無理なく
プログラミングを学べるのではないか。
プログラミングの基本が
すっきりとわかるようにデザインされている。
プログラムを学びたい人にはおすすめ。

「めぞん一刻」のドラマがやっていたので見る。
2時間のテレビドラマって久しぶりに見た。
映画もだけど、最近の2時間くらいの番組は
番組の始めのほうはコマーシャルが少なく、
終わりに近づくにつれて、
コマーシャルの量が増えていくようだ。
最後のほうは、あまりに多すぎて、
集中力が切れてしまう。

口上

なんとか仕事を仕上げて
夕方、東穀寄席。
真打ち昇進の口上があり、
これが本当にうまい。
話のプロの実力を見せつけられる。

「iPhoneで読む講談社コミック」
というのがスタートしたようだ。
Voyagerが絡んでいるというのは
懐かしい。

電子ブックというのは、
これまで多くの企業が挑戦して、
撤退していった。
つい先日も、ソニーと松下が撤退した。
電子辞書を除けば、
簡単そうで、成功しにくい分野だったのだ。
技術的にはそれほど問題があるわけではないが、
使いやすく、安価なビューワーが登場しないので、
一般にはあまり普及しなかった。
携帯小説は人気のようだが、
iPhone的な機器に一番あっているのは
実は漫画かもしれないという気がする。
手軽に読めて、データ量が大きくない。
漫画を100冊持ち歩くなんてことができてしまい、
電車のなかでも読めることになる。
こち亀が全巻は行っているiPhoneとか。
世界的に漫画ブームなので、
このあたりをうまく進めたら、
面白そうではある。
今度こそ、電子ブックという形態が
多くの人に認識されるレベルで
確立するだろうか。
少し期待して見守りたい。

Make

ノートパソコンが熱すぎる。
Flashの制作とかしていても、
意識が朦朧としてくる。
新機能は何にもいらないので、
夏涼しくて、冬暖かい、
音のしないノートパソコンが欲しい。
それが一番難しいのだろうけど。

雑誌「Make」が面白い。
雑多なもの作りの雑誌。
風力発電から、空き箱で作るギター、ブーメラン、
電子系のArdinoまで。
デザインの安っぽさも、いい雰囲気だ。

同じような感じで、
役に立たない機械を作るって面白い。

なんだか最近は「使いやすさ」ばかりが重視されて、
「役に立たない」っていう方向も
いいんじゃないかな。

Processing.js

書店で久しぶりにWebDesiningを見たら、
Processing.jsの記事が出ていた。
ProcessingをJavaScriptに移植したものらしい。
面白いかもしれない。
Processingは以前少し試していたので、
今度、何か作ってみよう。

先週、IntelがCentrino2を発表した。
最近のIntelはApple優先という感じだったので、
このタイミングでAppleが何もださないというのは、
iPhoneで余裕がなかった+
iPhoneの話題を分散させたくなかった+
信者の懐具合を考えて、というところなんだろう。

Quadコアとか、タッチパネルのノートなんかは
技術的にも、コスト的にも可能性があるのかも。
マルチカーソルも実用化されてきているようなので、
そのあたりまでいけば、
インターフェースそのものが大きく変わって
面白そうなんだけど。
アメリカのパソコンシェアで、
Appleは、DELL、HPについで3位になったらしい

岩手県で地震。
1時すぎに地震があって、
情報を収集・整理して、ペーパーを作って、
2時に記者会見って、かなり大変だろう。

夏休み

学校は夏休みに入ったが、
小中学校の先生は結構忙しいらしい。
研修などが、かなりあるのだそうだ。
教師の質が問題にされているから、
増えてきているのだろう。
しかし、教師の質というのは
教える技術を指しているのだろうか?

学校の先生に必要なことって、ただ一つ、
生きることを楽しんでいること、だと思う。
そこから学ぶこと、感じることは多い。
逆に、不機嫌な顔をして学校にくる教師が
生徒の気持ちや、将来に
どれだけの悪影響を与えるか。

高校の時の数学の先生は、
教え方はあっさりとしていたが、
黒板で円を描くのが、素晴らしく美しかった。
そこには、妙なこだわりが感じられた。
そういうことにも、
感じることはある。

論理に振りかける、一粒の媚薬

なんとか最終日に、
東京藝術大学美術館の「バウハウス・デッサウ展」にいく。

東京藝術大学美術館「バウハウス・デッサウ展」

展示内容は、ほぼ予想通りな内容で、
最終日だから、混んでいるのは仕方がない。
ただ、バウハウスの展示としては、
見せ方のデザインが今ひとつな感じはした。
色使いや太めの罫線などで、
バウハウス的な感じを狙っているのはわかるけど、
フォントや字詰め、小文字の使い方など、
微妙にバウハウス的でない部分を感じてしまう。
映像を通路に置いてしまって
人が動かなくなるなど、
会場設計も少し工夫が足りない。

Moholy-Nagyの映像は抽象的で詩的で美しい。
オスカー・シュレンマーの映像って、
パンフォーカスな感じがするのだけど、
単にレンズが暗いだけなのだろうか?

映像のなかには、
再構成した1988年の映像も含まれていて、
しかもその表示がドイツ語のタイトルのなかにしかない。
あの足の動きは、マイケルのムーンウォークじゃないか
と思ってしまったり。
何の説明もなく混ぜてしまうのは、
不親切というか、誤解を生むのではないかと
思ってしまった。
アーツ・アンド・クラフツや、
ロシア構成主義などとの関係も
知識がないと一緒にして見てしまいそうだし、
あまり説明的である必要はないが、
音声ガイドに谷原章介を使うとかではなく、
見て誤解しないような展示にすべきではないか。
学生も多いのだし。

ミュージアムショップで、
バウハウス叢書全巻売っていた。
10万超える。
もう少し安くしてくれれば、
多少は売れると思うんだけど。

バウハウスの学生の作品が多かったが、
今の学生も、質的に負けているわけではないと思う。
「歴史」だから偉いわけではないので、
この展示を見たのと同じ視線で、
今の学生の作品も見てほしいと思った。

バウハウスの特徴は
素材に立ち戻って、分析的に理論を組み立てていく部分と、
工房制度にあるような、ドイツ的職人的な部分が混在し、
バランスを模索しているところにあると思う。
そういう意味では、「デザインの教室」はそれを踏襲している。
これは、はじめから意図的にそうしている。
そもそも「構成とは何か」というところから考え直そう
という一方で、手を動かして感性を磨くことを奨めている。
論理がなくては、他人に伝わりにくいし、
仕事として成立しにくい。
しかし、論理だけでは、美しさには到達しない、
論理に振りかける、一粒の媚薬が必要だ。

いろんなことを考えることができたので、
そういう意味では、いい展示であったのかもしれない。

夜、J-waveでG.LoveとLily Allenのライブ。
Lily Allenの自由なボーカルが楽しい。

G.Love & Special Source
 Give It To You, Astronaut
Lily Allen
 Smile, Knock Em Out, Alfie

話の『つづき』

会社員時代のメンバーが集まるパーティがあった。
その案内には、
「みんなきっと
 話の『つづき』があるだろう。」
と書かれていた。
こういった表現は、
なんだか、相変わらずだなあと思っていた。
正直なところ、行くのが面倒な感じすらしてきていた。

しかし、行ってみると、
10年以上も会っていない人たちばかりなのに、
「あの時、こんなことを言っていたよね」
と、本当に「話の続き」をしていることに気づいた。
それは恐らく、10年以上も前の話の続きのできる
「ぶれない部分」を持っている人が
多かったからなのではないかと感じた。
理屈好きな会社ではあったが、
それよりはむしろ感性の部分で、
なんとなく同じ方向を向いているような気がした。
そもそも、理論は感性が作るものではある。

考えてみれば、当時の社会のなかでも
独自のスタイルを持っていた会社のなかで
傍流の部署ばかりにいて、
ほとんど一人で別のことをしていた。
そういう立ち位置は、今も変わりがない。
自分はこれからも、
長い物には巻かれないスタイルで
生きていくんだろうなと
思ったのだった。

家に帰ると、玄関のベンチに座る猫のニイニイと
家のなかの猫が待っていてくれた。