論理に振りかける、一粒の媚薬

なんとか最終日に、
東京藝術大学美術館の「バウハウス・デッサウ展」にいく。

東京藝術大学美術館「バウハウス・デッサウ展」

展示内容は、ほぼ予想通りな内容で、
最終日だから、混んでいるのは仕方がない。
ただ、バウハウスの展示としては、
見せ方のデザインが今ひとつな感じはした。
色使いや太めの罫線などで、
バウハウス的な感じを狙っているのはわかるけど、
フォントや字詰め、小文字の使い方など、
微妙にバウハウス的でない部分を感じてしまう。
映像を通路に置いてしまって
人が動かなくなるなど、
会場設計も少し工夫が足りない。

Moholy-Nagyの映像は抽象的で詩的で美しい。
オスカー・シュレンマーの映像って、
パンフォーカスな感じがするのだけど、
単にレンズが暗いだけなのだろうか?

映像のなかには、
再構成した1988年の映像も含まれていて、
しかもその表示がドイツ語のタイトルのなかにしかない。
あの足の動きは、マイケルのムーンウォークじゃないか
と思ってしまったり。
何の説明もなく混ぜてしまうのは、
不親切というか、誤解を生むのではないかと
思ってしまった。
アーツ・アンド・クラフツや、
ロシア構成主義などとの関係も
知識がないと一緒にして見てしまいそうだし、
あまり説明的である必要はないが、
音声ガイドに谷原章介を使うとかではなく、
見て誤解しないような展示にすべきではないか。
学生も多いのだし。

ミュージアムショップで、
バウハウス叢書全巻売っていた。
10万超える。
もう少し安くしてくれれば、
多少は売れると思うんだけど。

バウハウスの学生の作品が多かったが、
今の学生も、質的に負けているわけではないと思う。
「歴史」だから偉いわけではないので、
この展示を見たのと同じ視線で、
今の学生の作品も見てほしいと思った。

バウハウスの特徴は
素材に立ち戻って、分析的に理論を組み立てていく部分と、
工房制度にあるような、ドイツ的職人的な部分が混在し、
バランスを模索しているところにあると思う。
そういう意味では、「デザインの教室」はそれを踏襲している。
これは、はじめから意図的にそうしている。
そもそも「構成とは何か」というところから考え直そう
という一方で、手を動かして感性を磨くことを奨めている。
論理がなくては、他人に伝わりにくいし、
仕事として成立しにくい。
しかし、論理だけでは、美しさには到達しない、
論理に振りかける、一粒の媚薬が必要だ。

いろんなことを考えることができたので、
そういう意味では、いい展示であったのかもしれない。

夜、J-waveでG.LoveとLily Allenのライブ。
Lily Allenの自由なボーカルが楽しい。

G.Love & Special Source
 Give It To You, Astronaut
Lily Allen
 Smile, Knock Em Out, Alfie