Web標準といった議論にあまり興味を持てないのは、
これらを語っている人たちが、
W3Cの進める「標準」を
疑っていないように見えるからだ。
しかし、その「標準」で本当に良いのだろうか。
Webのソースの最大の問題点は、
本文とナビゲーションが混在していることだ。
HTMLの仕様のなかには、
ナビゲーションという概念はない。
そもそも、ページのデザインという考え方が
とても希薄だといえる。
まさに、技術屋さんの作った仕様だと思う。
たとえば、ページ内の本文を<main></main>
というようなタグで囲みましょうと決めれば、
検索エンジンもここだけを対象にすればよいし、
ページの要約も簡単に作れる。
アクセシビリティ的にも、
まず本文を読むようにプログラムを作ることは簡単だ。
<main></main>のなかさえ標準的に作れば、
ナビゲーションはどんなふうに作っても構わないことになる。
<div id=main></div>でもいいのだけど、
そうすると、DOMの構造をきちんと解析しないと
領域の最後を判断できない。
例外的に
<div id=main></div id=main>
にしてしまってもいいわけだけど。
ページの本文を<main></main>で囲むなんてことは、
タグを小文字で書けとか、
aタグのなかにはブロック要素を入れてはいけないとか、
そういうくだらない、でも細かくてわかりにくい
コンピュータのための規則に人間があわせるのとは違って、
とてもシンプルだし、意図も明快なことだ。
標準の仕様自体をみんなで疑いだすと、
標準化など余計にできなくなる。
それはわかる。
そのために、仕様自体はカッコに入れてしまって、
宗教的情熱で進めるという形になってしまう。
でも、本当にそれでいいのかという疑問は
やはり残る。
表現というのは、本来、多様化をめざすものだ。
仕様としての標準化を目指すなら、
なんのために標準化するのか、
どこを標準化し、どの部分で多様性を許すのかを
考える必要があるだろう。