よく、「アートとデザインは違う」と言われる。特にデザイナーがこの言葉を口にすることが多いように思う。デザインにはクライアントがいて、表現すべき目的があり、自己満足の表現ではないという。では、アートには、クライアントがいなくて、表現すべき目的がなくて、自己満足なのだろうか。アートに対する認識が偏っているのではないか。
依頼された絵としての「最後の審判」
ミケランジェロの「最後の審判」は、ローマ教皇クレメンス7世に依頼されて描かれた祭壇を装飾するための絵といえる。クライアントがいて、目的もある、自己満足というわけではない絵だ。壁画のような絵は多くの場合同様だし、工房で描いていたものも多い。画家の多くは肖像画を描くことで収入を得ていたが、これもクライアントがいて、明確な目的がある。
現代アートを見てみても、マルセル・デュシャンが「泉」などの作品で示したように、アートとは何かという問いかけも含めて、アートの文脈のなかでの批評性を含んだ行為であり、アートは決して「自己」吐き出したものではない。現在の売れているアートは、村上隆氏の活動でもわかるように、アートマーケットをきちんと意識したものであって、デザイン以上に商業面で戦略的だといえる(悪い意味でなく)。どうしても、アート・芸術というと、ロマン派的な自己表現と捉えられがちだが、それはごく一部のことで、ロマン派だって、自己表現だけで成り立っているわけではない。
ものごとのありように価値を生じさせる
アートとデザインは、言葉としても分けられているのだから、一緒だと言い切るつもりはないのだけど、「ものごとのありように価値を生じさせること」という意味では、アートもデザインも変わりがないと思う。
強いて言えば、デザインが「課題に対する回答」であることが多いのに対して、アートは「問いかけ」であることが多いという点が大きな違いのように思うのだけど、回答のなかには、課題そのものの解釈など、新たな問いかけがあるものだし、問いかけのなかには、仮説が含まれていることが少なくない(非常に抽象的な言い回しで申し訳ない)。
単なる回答を超えたもの
「アートとデザインは違う」といいたいデザイナーの気持ちは、よくわかる。でも、そんなにムキになって主張しなくてもいいんじゃないかと思っている。アーティストはあまりこういうことを言わないのに、デザイナーが強く主張するという背景には、デザイナーは職人であり、仕事人。ゴルゴ13みたいに、依頼されたことをプロとして処理しているんだという、ある種のニヒリズム的な想いを感じてしまうのだ。ある種の逃げというか、言い訳のように感じてしまう。「アーティストは自分勝手にできていいよな」というような。でも、本来はどちらが上位でも、どちらが自由でもないはずだ。デザインが、「課題に対する一つの回答」であるとしても、回答を超えた部分をもちたいと思っていることも、悪くないと思う。
ブルーノートのアルバムジャケットの多くをデザインしていたリード・マイルスは、ジャズ好きでもなかったわけで、与えられた課題に対する回答として、多くのアルバムジャケットをデザインしていったのかもしれない。でも、そこには遊び心があり、単なる回答を超えた部分があるから、今見ても新鮮なんだと思うのだ。