Windowsにヒラギノを

いまさらだけど、Windows8は評判どおり使いにくい。画面右上にカーソルをもっていてスタート画面を出すなんて、説明されないとわからないし、わかっても面倒くさい。メモ帳を開いたり、電源を消す方法をネットで調べることになるとは。ゲームはすぐできるのに、テキストファイルとして文字を書くことがすぐにできないOSって、いったいなんなんだろう。スタート画面のなにもないところを右クリックしてすべてのアプリを表示するなんて、長い間コンピュータを使ってきたけど、思いつかなかった。何もない部分で操作させるなんて、新規の作成ならともかく、ビジュアル的なインターフェースとして破綻している。今までのWindowsでの操作の基本が通用しないので、WindowsXP→Windows8よりも、WindowsXP→Macのほうが、自然に移行できるんじゃないかな。なぜ、これがそのままリリースされたのか不思議でしかたがない。

一番厳しいと思ったのは、文字の汚さだ。いくら背景の写真をきれいにしても、文字が汚いとすべてが汚く見える。メイリオとか言っていないで、ヒラギノ使っちゃえばいいじゃない。すべての画面で、美しさが全然変わるし、日本における統一的な文字の表示環境ができる。明朝とゴシックがあり、本文用の細い書体と見出し用の太い書体があり(「太字」ではなく、大見出しにも使えるしっかり太い書体)、同じサイズの設定をおこなえば、OSが違っても文字の大きさ、行間、字詰めに違いはないということ。それは、とても重要なことでしょう。そのためには、ライセンスに関わる費用が必要になるけれど、Windowsの商品価値の向上を思えば、投資する費用以上の効果はあるはず。価格に転嫁したって、何割も高くなるというものでもないだろう。マイクロソフトも大日本スクリーンも、お互いにメリットはあると思うのだが。

Windowsに美しい見出し書体があれば、ウェブで文字を画像にするなんていうことも、ずいぶん前に終わっていただろう。そこで失われた作業時間、転送するデータ量、そして文書データとしての品質は計り知れない。そろそろ、日本の文化に貢献してくれてもいいんじゃないか。

極端な話、最低でも明朝とゴシック、それぞれ数段階の太さのファミリーの書体を搭載していない端末は、法律で禁止するくらいのことをしてもいいんじゃないかとすら思う。フランスがもしこういう状況にあれば、迷わず法律を作りそうだ。

ヒラギノじゃなくても、基本書体をファミリーで搭載していればいいともいえるのだけど、前述のとおり、どうせならPCでも、タブレットでも、スマホでも、ウェブも電子書籍も同じ書体で同じように表示できるようになると、文書を表示するうえでの基盤ができる。そのうえで、特殊な部分でだけウェブフォントなどを使えばいい。

パソコン用OSの用途として、ウェブの閲覧や文書作成は基本だろう。それなのに、見出し用書体も標準搭載しないで発売するなんて信じられない。と怒りはじめて10年くらいになる。こういう話をしても、わりと共感されないんだけど。