責任

午後、ものすごい雷で、
部屋が一瞬、光に包まれた。

夜、中田元選手のインタビュー番組を見る。
試合の分析など、言っていることは
正論といえるものだったが、
他の選手からすれば、
自分だけが正しくて、
俺たちがみんな間違いなのか
という気がするかもしれない。

トルシエは自分で電車に乗って
各地を見に行っていたらしいが、
ジーコは関東だけ。
しかも、試合が終わる前に帰ってしまい、
ブラジル人監督としか話をしなかったらしい。
関東しかいかないというのは、
いかにも面倒くさいというのが見えてくる。
結局、本当にはやる気がなかったのだろう。
トルコのフェネルバフチェの監督に
就任したようだが、大丈夫だろうか。
トルコのサポーターは
世界一過激といってもいいので、
日本と同じようなことをしたら、
殺されかねない。
トルコを甘く見ない方がいい。

中村俊輔のインタビューによれば、
ワールドカップ中はずっと熱が上がったり
下がったりの状態で、
ジーコにも、はずしてくれと言ったらしい。
しかし、ジーコは自分が責任をとるからといって、
使い続けたのだそうだ。
一方の言い分であり、
どこまでが本当かはわからないが、
ジーコの責任っていったい何なのだろう。
辞めることは決まっていたのだし、
何をすることが「責任をとる」ことになるのか
さっぱりわからない。

ぼくは、責任という言葉の意味をよく知らない。
起こってしまったことをなかったことにするのは、
どんなことをしても無理なのだ。
役職を辞任しても、死んでも、
それが責任なのかよくわからない。
だから、責任という言葉を頻繁に使う人を
絶対に信用しない。