ブルガリアの国歌を歌った人の民族衣装が美しい。
「ケルズの書」を思わせるような装飾。
ブルガリアの国歌は微妙なメロディで、とても難しい。
選手がだれも歌っていないのは、
歌えないのかもしれない。
前日にブルガリアからはるばる来日した
主力選手の欠けている
ワールドカップに出られないブルガリア代表に
ホームで負けとは、情けない。
開始すぐに点を取られたために
ブルガリアは無理して攻めないので、
当然、攻撃的にはなるのだけど、
これを見て、「内容はよかった」とは
いえないだろう。
トラップなど、基本的な部分で、
負けている感じだった。
特にディフェンスはまずい。
中沢は昨年は日本で一番安定したDFだったが、
今年に入ってからはあきらかに動きが鈍い。
FWがフェイントで切り返すと
腰が砕けて、ついていけなくなる。
どこか調子がわるいのかもしれない。
「中沢はいい」というような先入観ではなく、
現状をきちんと見ないとまずいだろう。
よく、トルシエはシステム中心で、
ジーコは選手の個性中心といわれるが、
それは、むしろ逆ともいえる。
トルシエの場合、
たとえば、森島は中田の代わりではなく、
「リズムを変えたいときに使う選手」
というような役割を与えられていた。
中盤から攻めるときは稲本で、
バランスをとるときは明神、
サイドから攻めるとは三都主、
フォワードの当たりの強さが必要なときは鈴木、
雰囲気を盛り上げたいときは中山
というような感じ。
誰かが疲れたから、その役割を引き継ぐのではなく、
試合のなかで状況が変化して、
必要な役割が変わるから選手を変える。
これは、とても選手中心だといえる。
それは、試合のなかで起こりうる状況を
あらかじめ想定したうえでの選手選考だった。
トルシエが素晴らしい監督とはいえなくても、
少なくともかなり論理的な思考をしていたことは
外から見ていても理解できる。
ジーコの場合は、ボランチというポジションで、
福西・中田・小野・遠藤という順番があって、
上から二人を先発に選ぶ。
疲れたら、3番目と変える。
選手の個性と求められる役割が
結びつけられていない。
しかも、試合のなかで起こりうる状況が
まったく想定されていない。
サッカーは、最後の30分くらいで試合が動くことが多い。
ところが、報道されている限りでは、
紅白戦は常に、先発組と控え組で行われている。
控え組のFWは、中田や中村と同じチームで練習したことがない。
4年間あって、おそらくほとんど皆無だろう。
1点負けていて、あと15分というような
一番大切な場面で出ている選手が、
一度も練習したことのない組み合わせというのは
素人が考えてもおかしいと思うだろう。
管理職の仕事で一番重要なのは、危機管理だろう。
そういう意味ではジーコはまったく役に立っていない。
ジーコが監督であることで、
勝てる可能性がかなり低くなっているのは
確かだと思うのだが、
だからといって負けるとは限らないのが
サッカーの面白さでもある。
この状況で、
味方の得点に一番喜んでいた佐藤は
偉いと思った。
栄養のいきとどいた、悪そうなうさぎですね。
でもサッカーがうまいうさぎなんですよね。