耐震データ偽造問題。
やはり現場ではわかっていたようだ。
まあ、当たり前だろう。
「自分たちが言える立場じゃない。」
建築業界なんかは特にそうだろう。
「プロとして恥ずかしくない・・・」
なんてシリーズに原稿を書いてしまっているが、
プロってなんだかよくわからない。
「与えられた仕事だけを
きっちり処理するのがプロ」というような、
ゴルゴ・レオン・仕事人的なプロフェッショナル像を
理想化するのって正しいのだろうか。
自分のまわりのことでも、
間違っているものは間違いだと
言っていいと思う。
役割だけを果たしても、
仕事全体としてうまく行かなければ
意味がないと思うのだ。
もちろん、そのためには
戦わなければならないけど。
わかっていたけど自分の役割だけを
プロとしてこなしていた人たちは
罪ではないかもしれないが、
正しくはないと思う。
まず、普通の人間であることが、
仕事をするうえでも前提となると思う。
例えば談合している人だって、
自分自身の利益になるわけでもないのに、
組織のなかでの役割をこなすために
違法なことまでしてしまう。
共同体のなかでの役割を優先することが
「大人」と言われるが、
そんな大人やプロには、なる必要がない。
大工さんを親に持つ、ある落語家さんが言っていた
プロ(職人)ってのは「信用」を売っているそうで
今回のようなことは、信じがたく許せないことだそうだ。
まあ、江戸の時代にもそれなりに建築の不正はあったそうです。