スパムメールで、
「パンツ、パンティ、パンティスト!」
というタイトルのメールが着た。
あんまりにも無意味で、インパクトが強くて笑った。
活用になってないし。
ストはストッキングのスト?
深いのか?
頭のなかで、フレーズがぐるぐるしてくる。
送り主は「ぱんつ皇帝」。
しかも、メールアドレスは某フリーメールで
opantsu_koutei
「お」がついてるところがかわいい。
なんだかは、クレヨンしんちゃんぽい。
書いた人に会ってみたいくらい。
どこの世界にも、才能はいる。
文化庁が、またiPod課金とかいいだしているみたい。
Culture First〜はじめに文化ありき〜
なんていうサイトもできていて、
創作物を「もの」としか見ない風潮を改めるために
文化の担い手としての役割を果たしてくれるらしい。
「文化の担い手」というのは、
作り手だけなんだろうか。
例えば、ぼくが書いているような本であっても、
社会とか、歴史のなかで存在していて、
その恩恵を大きく受けているし、
また、読んでくれる人がいなければ成り立たない。
すべての表現物は、関係のなかで成り立っているのだ。
受け手だって、重要な文化の担い手といえる。
さらに、書くとか作るというのは、
どんなものでも一人の作業ではない。
家族をはじめとして、制作できる環境がなければ
制作はできない。
ものづくりができる環境というのは、
実はとても貴重なものなのだ。
それは実感としてわかる。
作家の家族は、文化の担い手ではないのだろうか。
「はじめに文化ありき」という言葉が
いかに文化的でないかを、考えてみて欲しい。
作り手として本当に守ってあげなければならないのは、
すでに成功した大御所ではなく、
次世代のクリエーターなのだし。