クリエイティブな活動をしている人たちが、正当に評価される

先日発表されたグラミー賞で、InterFMの中継の最後に、「クリエイティブな活動をしている人たちが、正当に評価されたという印象がある」といっていたが、まったくその通りだと思う。羨ましいくらいに。

最優秀レコード賞
Gotye feat. Kimbra : Somebody That I Used to Know

最優秀アルバム賞
Mumford & Sons : Babel

最優秀楽曲賞、最優秀新人賞
Fun. : We Are Young

最優秀新人賞ノミネート
The Lumineers – Ho Hey (Official Video)

もちろん、日本にも面白い音楽家はいるのだけど、それが正当に評価される環境があるか、ポピュラーな賞をとったり、半分以上の人が知っているというような状況になるかというとどうもそうは思えない。反論も多いとは思うが、今、日本の音楽と欧米の音楽の間に、かつてないほどの質的な格差が生まれてきてしまっているように思う。経済的な問題もあるのだろうが、欧米の優れた音楽が、アビーロードレベルであれ、プライベートスタジオレベルであれ、生き生きとした音を作り続けているのに対して、日本の売れている音楽は、パソコンのなかだけから生まれたチープなサウンドのものがあまりにも多い。

もちろん、そのチープさのなかに面白さを感じるのは、感性としてはとても高度なことだ。バラエティ番組で、いわゆるひな壇の芸人が、一瞬のリアクションにすべてをかけているなんていうのも、お笑いということから見ればとても高度なこと。しかも、見ている人までが、「今のリアクションいいよね」とか言っていたりする。ここには一つの価値観を共有した、高度に熟成した世界が生まれていると言える。閉じたゲームの世界のなかでの技みたいな。でもね。そのゲームの外側から客観的に見ると、そんなのどうでもいいよ。その努力は素晴らしいかもしれないけど、全体として面白くなければ、意味ないじゃないかと思ってしまうのだ。今の日本の多くの音楽には、これと同じものを感じてしまう。

マンガやアニメにしても、これまで作品としてクオリティの高いものもあったわけだけど、最近流行っているものは、ゴティエ系というか、ガロ系というか、人の心の奥深くに行こうというものよりは、AKB的なチープ&ポップ路線で、先ほどのバラエティ番組のような、それを楽しむこと自体をゲーム的に楽しむというようなものが多いような気がする。

一部には、ボサノヴァ、タンゴ、インド音楽など、現地の人以上にコアな人はいるものの、洋楽が売れないことでもわかるように、全体としては、今、極端に内向きになっているような気がする。こうした内向きの傾向は、音楽だけでなく、邦画が圧倒的に強くなっている映画も、デザインにも同じように感じる。歴史的に見れば、日本はこうした内向きの時期には、むしろ文化的に高い成果を残してきたのだけど、どうも今回はそうは思えない。感性的に世界的なクオリティの基準から乖離してきているようにみえる。海外で秋葉系のモノがうけるのは、海外のなかでもごく一部のことなのだから。

海外のものがいいとかではなく、もっと区別なく、「いいものはいい」と見れるようにならないと、そして、色々なものに関心をもっていかないと、アニメやAKBに夢中になっているうちに、日本は感性的に取り残されてしまうという危機感を感じている。そして、クリエイティブな活動をしている人たちが、正当に評価されるようになることを願っている。願っているだけじゃだめだけど。