「プロは結果がすべて」なのか

『南極物語』とか、『敦煌』のような厳しい環境での撮影に必ず呼ばれる俳優がいたという話を聞いたことがある。もちろん、演技力も評価されていたのだろうが、その人がいると現場が楽しくなるということも評価されていたらしい。

サッカーの世界では、今バルセロナのサッカーが世界中の憧れになっている。単に勝つだけでなく、美しいパスワークで観客を魅了するサッカーが評価されている。00年代はじめまでは、どちらかといえばスピードや高さといった体力重視の単純に攻めて負けないサッカーが主流になってきていたのだが、ここ数年で流れが変わってきた。

よく「プロは結果がすべて」という言葉を聞くことがある。ぼくは、これをあまり好きではない。バルセロナ以前のサッカーのようで。もちろん、結果にもある程度は責任を持つ必要があるけれど、結果プラスアルファの部分が重要だと思っている。見て楽しいバルセロナのサッカーや、前述の某俳優のように、結果に至るプロセスの魅力というのも重要だと思うのだ。

デザインのプロセスの2つの意味

デザインにおけるプロセスには、2つの意味がある。ひとつは、いわゆるワークフローとしての意味。仕事をこうやって進めて行きましょう。コンセンサスを作って行きましょうという過程。仕事の進め方として、あの人に任せれば安心できるとか、あの人を打ち合わせするのは楽しいというのは一つの価値だろう。もうひとつは、デザインを作り上げるためのプロセス。どういう思考で生まれてくるかということ。

ぼくは、デザインのルールとか、原則という考え方があまり好きではない(そういう本に寄稿していたりもするが)。単発のルールを組み合わせればそれが「デザイン」になるとは思っていないから。むしろ、組み立てる思考の流れこそが重要だと思っている。『デザインの教室』『デザインの授業』で書いたのは、そういうことなのだけど。

それはデザイナーに向けているとともに、特に『デザインの授業』では、デザインに関わるデザイナー以外の人にも向けているつもり。それが唯一の方法ではないとしても、デザインするうえで、これらの本で紹介しているような思考の流れがプロセスとしてあるということを理解して欲しい。そうすれば、デザインが知的生産物であり、昨日の記事の天王寺区役所のような「デザイン=0円」になったりするようなものではないということが、理解してもらえると思っている。

天王寺区役所のような話を聞くと、デザイナーの側も、デザインというものを社会にもっと理解してもらう努力をする必要があると痛感する。それは結果を高めることとともに、デザインが生まれるプロセス(2つのプロセス)を理解してもらうことが必要だと思う。