正論という暴力

東横インの社長がバッシングを受けているらしい。
テレビのニュースを見ないので、
どれだけひどい会見だったのかは知らないが、
なんだか考えてしまう部分もある。

もちろん、建築物をすべての人が使えるようにすることは
圧倒的に正しい。
しかし、ハートビル法の適用範囲って、
病院、劇場、図書館など公共の施設は当然として、
物品販売店、飲食店、理美容店、クリーニング取次店まで
含んでいるらしい。
規模の規定などがあるのかどうか、
よくわからないのだけど、
「誰もが利用する建築物をつくろうとする際には
 ハートビルにする責務があります。」
とすると、
どうしても大規模資本優遇になってしまう。
施設で対応していなくても、
心遣いで対応しているところはあるだろうし、
その方がむしろ重要なことだろう。
「形」だけを義務づけることが
社会にとっていいことなのかを
考える必要があると思う。

すべての人が使えるようにすることは
正しいことなのは間違いない。
しかし、いくら正論であっても、
それを暴力的に振り回してよい
というわけではない。

ソクラテスを殺した社会と、
広場でギロチン刑を見せ物にした社会と
何も変わっていない。

駅もエレベータの設置工事が
様々なところで行われている。
それは正しいことなのだが、
順番が違うのではないかと思う。

人身事故は毎日のようにどこかで起きているが、
南北線のように線路にドアをつけてしまえば、
無理矢理入らない限り、
駅での人身事故は起こらない。
これを少なくとも都内とか、
乗降客何人以上の駅に義務づける
とかいうほうが先だと思うのだ。
まず、命を守ることのほうが重要でしょう。

「やわらか戦車」にはまる。
退却、退却。