過程こそが大切(天王寺区デザイナー募集に関して)

大阪市天王寺区役所の「デザインの力で、行政を変える!!~天王寺区広報デザイナーを募集します~」という発表が、しかも報酬はなしということで話題を呼んだ。これについては、反対意見が多く集まり、微修正されたが、「デザインと社会との関わり方」を考えるうえでは、とても興味深い事柄を多く含んでいる。

デザインになんてお金を払いたくない、素人にデザインさせたほうがまし、ともいえる行いに対しては、デザインに関わっている人間としては悲しく思うのだが、社会のなかでデザインがどう受け取られているかを表しているともいえる面もあるので、自分に関わる領域に火の粉が降ってきたから、とりあえずムキになって払いのけるというようなことをしていてはいけないと思う。そんなことをしていると、音楽業界と同じようなことになってしまう。

そこで、一つの問題として、プロに発注したポスターと、報酬は無料だけど名前は出しますといって一般に募集して選んだポスターで、結果はどちらがよいのかを考えてみる。

そもそもデザインにおいて、プロとアマチュアの実力差というのは、どれほどあるだろうか。最近では、ビジネス文書や年賀状、その他さまざまなシーンで、アマチュアでも自分でデザインすることはある。実際、とてもデザインのうまい人はいる。アメリカのテレビ番組、『アメリカンアイドル』で、プロの歌手以上に歌のうまい人が何人もいるように、うまいか下手かという面だけを考えてみると、下手なプロより質の高いデザインができるアマチュアは少なくないだろう。(あくまで「下手なプロより」、高いレベルを問題にしているわけではない)さらに今は、ソフトウエアの機能が助けてくれる。デザインなんてそんなものだ、そういう人たちをうまく使いたいと考えるのは無理もないのかもしれない。

また、プロって何だということも問題だ。印刷会社に発注して、入ったばかりの新人に、「役所のポスターだから、適当にデザインしてみて」などということもないとはいえない。プロに発注といっても、デザイン会社なのか、広告代理店なのか、印刷会社なのかさまざまだし、いい加減な人やモチベーションの低い人、忙しすぎて片手間な人などもいる。直接デザイナーと話せることもあれば、ディレクターや営業にしか会えず、誰がデザインしているのかわからないということもある。発注先を決めるというのは、本当にむずかしい。実際、これまで制作してきたものに対する不満から、今回のようなことを考えたのだろう。

特に、ポスターやチラシといったものの場合、アイディア勝負という面もあるので、何も浮かばなかったプロよりも、多くの作品を募集したほうが結果的にいい場合もある。イラストも描けて、魅力的だったりすると、それだけでポスターとして成立してしまうこともある。インターネット上には、一冊の市販された本よりも価値のあるブログは存在する。数が集まれば、確率的には小さくても一定の割合で良いものはある。ブログからの出版が当たり前になりつつある現状を考えれば、デザインの場合も、理屈としては同様だ。

今回のように「報酬はなし、名前を出します」というだけで、どれだけの応募が集まるかには疑問があるが、プロに発注と公募で、どちらがいい結果になるかはわからない。応募する人しだい、いわば運まかせだ。ウェブのように設計的な要素の高いものに素人が関わるのは極めて危険だが、ポスターやチラシのように単発の制作物の場合、そのうちのいくつかがひどい出来でも、それほど影響はないのかもしれない。しかし、運まかせにしてしまう、いわば博打的な仕事のスタイルは問題だと思う。

伝えたいことをきちんと伝えるためには、「伝えたいことを整理する力」が必要になる。実は、これは簡単ではない。発注者がまとめた内容だけでは、ニュアンスまでは判断できない場合が多い。仕事としてデザインを受けた場合は、デザイナーはそれを聞き出して形にする。ところが公募の場合は、箇条書き程度の情報から読み取って応募してくることになる。その表現が伝えたいことに適しているかどうかはわからない。

そういった状況を助けてくれるのが、「複数のなかから選んだ」という事実なのだろう。20個の案のなかではこれが一番。だから、これが最適な表現だと結論づける。言い訳できる根拠があればいいというのは、実にお役所的な考え方だが、世に多くあるコンペ形式での発注先選定も同様だといえる。

「デザインで行政を変える」ということを目指すのであれば、「応募してきた作品のなかから選びました」ではだめだろう。変えるためには、方向性が必要になる。どこを目指すのかが必要なのだ。しかし、現状は「変える」というだけで、方向性は示されていない。バラバラに応募された作品群は、おそらく方向性を示してはくれない。進むべき方向性は、考えるプロセスのなかから生まれてくる。前述のとおり、プロに発注か公募か、結果的にどちらがいいかはやってみなければわからない。しかし、プロは(ある程度きちんとしたプロのデザイナーは)プロセスを組み立てる力を持っている。プロの強みとは、むしろ制作過程にこそある。

本当にデザインで行政を変えたいのなら、むしろ自分たちこそが裸になるべきだ。例えばポスターを企画する。プロに発注しても、公募しても構わない。オーダーするときに、どういうオーダーにするか、どこに焦点をあてることにするか、それがどういう過程で絞り込まれて来たか、いくつかの案のなかからどういう基準で選んだか、どこを修正してもらったか、デザインの発注を含めた編集の過程をすべてオープンにしてしまえばいい。変わるべき課題は、発注先というよりは、おそらくそのなかにある。それが見えてくる。編集作業自体をオープンに、インタラクティブにしてしまうことで、「伝える」ということに関しての問題点、変わっていくべき方向性が明らかになるし、行政と発注先との関わり方、ネットワーク時代の行政というものの新しいスタイルが見えてくるのではないか。

手法はともかくとして、「デザインで行政を変える」ということを目指すのであれば、他人(公募で応募された作品)にすべてをゆだねてしまうのではなく、制作の過程を見直して、変えて行くべき方向性を見定めるべき。実は、それこそがデザインなのだ。プロセスがしっかりしていれば、結果はある程度想像することができ、博打的ではなくなる。きちんとしたプロのデザイナーはその部分を提案する力を持っているはずだと思う。