環境問題とマルクス主義

現在の環境問題は、
どうも一時期のマルクス主義と非常に似ているように感じる。
どちらも、「いわゆる自称知識人」を虜にして、
狂信的なまでになっている。
理論上では、非常に正しく見える。
問題の解決には、社会的・政治的な統制が必要。
それは、言い方を変えれば、
人間が、社会、あるいは世界をコントロールできる、
そして、しなければならないと思っている。
問題点を認識している自分は正しくて、
間違いだらけの社会を、
自分たちの考え方で直していかなければならない
と思っている。
そのありようが、ほんとうによく似ている。
これは、まさに「地球へ」で描かれていた世界だなあ。

二酸化炭素を無駄に出すのは
良くないに決まっている。
それはあきらかだけれども、
そうしないと島が沈むというのは、
話がむちゃくちゃだ。
そこには、「現状維持」を正しいとする
ダムを作る考え方と一緒ではないか。
自然は決して現状維持はしない。
動き続けている。
海水面だって、上がったり下がったりする可能性は
温暖化以外の要因でも起こりうる。
どんな地形だって、変わる可能性はある。
昔から生物は、それにあわせて住処を変えたり
滅びていってしまったりしたのだ。
ツバルが沈んでしまうのは、
その場所にすんでいる人にとっては
とても悲しいことだけど、
それだって、何万年もそこにすんでいたわけではない。
オセアニアの人たちは、数百年前に移住してきたと
言われていたように思う。
かつて祖先がしたように、
いつかはその場所を離れる時は来るのだ。
変わっていくということは、
受け入れなければならない現実なのだ。
もちろん、国境がそれを困難にしているのであれば、
それは政治的に解決しなければならないだろうけど。

地理や気候において、
「現状維持」を正しいと思うのは、
自然というものときちんと見ていないといえるのではないか。

個人が、少しずつ無駄をなくしたり、
環境に負荷の少ない生活ができるための
技術を開発することは、必要だけれど、
今の、いわゆる環境主義者の物言いは、
とても危険な香りがする。
本当に危険なものは、
正義の見方のような顔をして
近づいてくるものだ。
鼻はいつも敏感にしておかなければならない。