「編集する」ということ

タイガーアンドドラゴンの最終回は、
あの展開としてはいい終わり方だったように思う。
最後のオチはひねっていてよかった。

ただ、クドカン好きの層からすれば、
逮捕とかの「大きな物語」は必要なかったような気がする。
話題の割に視聴率は高くなかったようだし、
視聴率にあったというか、
ターゲットの幅に合わせた話で、
もうすこし淡々と進めても、
見る人はついてきたのではないかと思う。

久しく書いていなかった某誌。
2ページだけだったので仕事を受けた。
文章の構成(タイトル・リード・本文・キャプションなど)や
文字数が指定されていたので、それにあわせて書いたが、
編集原稿の確認として送られてきたものは、
当初の文章構成や文字数とは全然違う。
当然、文章も違う。
内容的にはひどくはなかったが、
編集の進め方として、それはないのではないか。

グラフィック系の編集者のなかには、
どうせクリエイターは文章書けないからといって、
勝手に書き換えてしまう人が結構いる。
普段、苦労しているということだろうが、
書くほうとしては、困ってしまう。
かなり怒る。
本人にもその旨は伝えたが、
ほとんど無視という感じで、
さらに腹が立つ。
なんだか、最近は怒ってばかりだ。

それほどではないにしても、
語尾とか変えられるのも気になる。
基本的に原稿と校正の付け合せしないが、
自分の文章でない部分は、
違和感がありすぐにわかる。
リズムよくきているところに、
なぜか「○○なのだ。」とつけてある。
そうすると、リズムが変わり強められてしまう。
そこを強める意図が明確ならよいのだけど、
どうもそうは思えない。
それによって文章がわかりやすくなるわけでもない。
なぜ明確な根拠もなく、
語尾を変えたりするのか。
それは「編集」ではないと思うのだ。

こういうことは日常茶飯事ではあるのだけど、
優秀な編集者は生かすべきところは生かし、
変えるべきところは、きちんと提案してくれる。