EOS Kiss Digital N
2005-5-27 金曜日
大学から帰る時、
少し早めだったので
新宿駅で乗り換えようとすると
JRは大混雑のようだった。
大江戸線で帰ってみると、
ラッシュ時間でもそれほど混んでいなくて
かなり楽だ。
しかし、駅から少し遠い。
夕立が降るとのことだったが、
降らなくて良かった。
Amazonからメールで、
1-2週間後に納品のはずの
Canon EF-S60mm F2.8 マクロ USMを
既に発送したとのこと。
予想外に早かったので、
すぐにCanon EOS KISS Digital Nを申し込む。
サッカー日本代表、UAE戦は
大黒が先発で多少面白くなったが、
結局負け。
攻めるときはスペースを広く、
守るときは狭くが基本だが、
逆になっているので、
負けても仕方がない。
オフサイドもほとんど取っていないように思う。
バーレーン戦のドキドキ感が増して、
ストーリーとしては、良いのかも。
タイガー&ドラゴン。
猫の皿は始めて聞いたが、
魅力的な話。
小虎は実際に見たことしか話せない。
女郎の話をすれば、「女郎を見たことがあるのか!」といい、
そばの食べ方を実際に食べながら練習する。
絵画のように、ある程度「写実」を含む芸の場合、
日本でもヨーロッパでも、
「芸を学ぶ」と「現実を見る」の2通りの学び方がある。
狩野派や、アカデミーの絵画は、
師匠の絵を写すことで学んでいたといわれている。
若冲や印象派は、模写で学ぶことをやめて、
写生をすることで現実を見ようとした。
美術史では、若冲や印象派が
「模写にあきたらず」現実を写生するようになった
と解説することが多い。
しかし、絵画は結局は2次元の画面を
どのように構成するかが重要なので、
現実にあるものをそれらしく描くというだけでなく、
その構成手法という部分、
いわば「様式的な芸」の部分が重要になる。
模写は、実はそれを伝達する手段といえる。
「模写にあきたらず」というような
どちらが大切かという問題ではない。
たとえば鶴を見る視点は360度どこから見てもよいが、
日本の絵画のなかでは、
かなり限られた方向から描かれている。
障壁画などの装飾的な絵画では、
見る側も描く側も、「型」あるいは「スタイル」があることで、
お互いに意図が通じ合い、安心できる。
ところが、様式的に異質なものを作ろうという場合には、
様式の伝達を重視するあまり見えなくなっている
写実的な部分が重要になる。
つまり、現実をどう見るかということ自体の
再評価が必要になってくる。
様式的な「作り話」はうまいが、
自分のことは話せない小竜と
自分が見たことしか話せない小虎というのは、
とても面白い設定と思う。
という深読み。
落語論、創作論的な内容が
かなり含まれているのは明らかと思う。
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